1978年の阪神タイガース

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1978年の阪神タイガース
成績
セントラル・リーグ6位
41勝80敗9分 勝率.339[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場
阪神甲子園球場
Hanshin Koshien Stadium 2007-21.jpg
球団組織
オーナー 野田忠二郎
経営母体 阪神電気鉄道
監督 後藤次男
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1978年の阪神タイガース(1978ねんのはんしんタイガース)では、1978年シーズンの阪神タイガースの動向をまとめる。

この年の阪神タイガースは、後藤次男1969年以来、2度目の監督を1年だけ(通算2年目)務めたシーズンである。

概要[編集]

前年、Bクラス転落の責任を取り吉田義男が辞任した事を受け、後藤が9年ぶりに監督復帰。さらにファンサービスの一環として、日本球界初のチアリーディングチームが結成された。マイク・ラインバックが故障で出遅れたチームは開幕戦で江本孟紀巨人王貞治に満塁本塁打を浴びて敗れたものの、その後は勝率5割近くで踏ん張り、4月末にラインバックが復帰し5月反攻が期待された矢先、5月6日に前年37本塁打のハル・ブリーデンが故障で離脱するとそこからチームは5連敗、さらに5月下旬には9連敗を喫し、一気に最下位に転落した。打撃陣では掛布雅之が初めて30本塁打の大台に乗せ、9月からは田淵幸一に代わり4番を任された。また藤田平が当時の日本記録となる208打席連続無三振を記録したが、ブリーデンの抜けた打線はチーム打率リーグ5位、チーム本塁打数も50本近く減少した。さらに投手陣も、後藤監督の「全員リリーフ、全員先発」という起用方針が裏目に出て、江本が11勝11セーブ、防御率リーグ2位と孤軍奮闘したがチーム防御率はリーグ最下位に転落した。これまでセ・リーグで唯一最下位がなかったチームは当時の球団ワーストとなる勝率.339で初めて最下位となり、後藤はまたしても1年で辞任、チアリーディングチームも「縁起が悪い」と1年で解散となり、2014年まで復活しなかった

シーズン終了後、長年チームの顔として活躍した田淵が新球団西武に放出され、チームは変革期を迎えることになる。

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 中村勝広
2 池辺巌
3 掛布雅之
4 田淵幸一
5 藤田平
6 池田純一
7 佐野仙好
8 島野育夫
9 江本孟紀
1978年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- ヤクルト -- 巨人 -- 巨人 -- ヤクルト --
2位 大洋 0.0 大洋 0.5 巨人 2.5 ヤクルト 2.0 ヤクルト 1.5 巨人 3.0
3位 中日 3.0 ヤクルト 1.5 大洋 3.0 大洋 5.5 大洋 3.5 広島 5.0
4位 ヤクルト 3.5 中日 3.5 中日 5.5 中日 10.5 広島 5.5 大洋 7.5
5位 阪神 4.0 広島 9.0 広島 8.5 広島 11.0 中日 9.0 中日 20.0
6位 広島 4.5 阪神 12.5 阪神 19.5 阪神 22.0 阪神 25.5 阪神 30.5
1978年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 ヤクルトスワローズ 68 46 16 .596 -
2位 読売ジャイアンツ 65 49 16 .570 3.0
3位 広島東洋カープ 62 50 18 .554 5.0
4位 横浜大洋ホエールズ 64 57 9 .529 7.5
5位 中日ドラゴンズ 53 71 6 .427 20.0
6位 阪神タイガース 41 80 9 .339 30.5

[1]

オールスターゲーム1978[編集]

ファン投票 監督推薦
田淵幸一 山本和行
掛布雅之

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
掛布雅之 三塁手 3年連続3度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
掛布雅之 三塁手 初受賞

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 江川卓 投手 作新学院職員 入団、後に小林繁とトレード
2位 枝川正典 投手 長門高 入団
3位 渡辺長助 捕手 九州産交 入団
4位 青木重市 投手 山形相互銀行 入団

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ a b 年度別成績 1978年 セントラル・リーグ”. 2017年4月26日閲覧。