1980年の阪神タイガース

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1980年の阪神タイガース
成績
セントラル・リーグ5位
54勝66敗10分 勝率.450[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場
阪神甲子園球場
Summer Koshien 2009 Final.jpg
球団組織
オーナー 田中隆造
経営母体 阪神電気鉄道
監督 ドン・ブレイザー(5月15日まで)
中西太(5月16日から)
 < 1979 1981 > 

1980年の阪神タイガースでは、1980年シーズンについての阪神タイガースの動向をまとめる。

1980年の阪神タイガースは、ドン・ブレイザー監督の2年目のシーズンである。

概要[編集]

前年のドラフト会議で6球団競合のくじ引きの末に入団した岡田彰布が、チームの話題の中心となった。大阪出身で東京六大学野球のスターだった岡田は入団時点で絶大な人気があり、ファンだけでなく球団も積極起用を望んでいた。しかし、ブレイザーは、岡田をじっくり育成させる方針を立て、岡田の早期一軍起用を渋った。ブレイザーは、この方針の下、勝てるチームを作るため、ヤクルトからヒルトンの獲得し、一塁ヒルトン・三塁掛布の布陣を組み、三塁が本職であった岡田を外野にコンバートさせたが、岡田の起用を望む者から見れば冷遇にも思える起用だったため、ファンや球団の怒りを買った。シーズンが始まると、ヒルトンが成績不振に悩み、それでもブレイザーがヒルトンの起用を優先したことから、ファンや球団の怒りが募り、シーズンが進むにつれて、ブレイザーやヒルトンに対する風当たりが強くなっていった。球団社長による岡田起用要求、ヒルトン解雇、監督に相談なしの新外国人の獲得が行われたことから、ブレイザーと球団の溝が決定的となり、ブレイザーは5月15日に辞任した[2]。後任監督には、打撃コーチの中西太が就任した。中西監督の下で内野で先発出場するようになった岡田は、打率.290、18本塁打の成績を残し、新人王に選ばれる活躍をし、チームはシーズン序盤の内紛後、8月上旬まではAクラスをキープするが、死のロードからズルズルと順位を下げ、結局5位でシーズンを終えた。

また、8月16日には、いわゆる空白の一日でトレードの当事者となった小林繁江川卓の初の直接対決が実現し、話題となった[3]

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 真弓明信
2 加藤博一
3 ヒルトン
4 掛布雅之
5 ラインバック
6 佐野仙好
7 竹之内雅史
8 若菜嘉晴
9 小林繁
1980年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 広島 - 広島 - 広島 - 広島 - 広島 - 広島 - 広島 -
2位 ヤクルト ヤクルト 2.5 ヤクルト 5.0 ヤクルト 10.0 ヤクルト 8.5 ヤクルト 5.5 ヤクルト 6.5
3位 巨人 2.5 阪神 3.0 大洋 5.5 阪神 13.0 巨人 16.0 大洋 18.5 巨人 14.0
4位 大洋 3.0 大洋 3.5 阪神 8.5 大洋 14.0 阪神 17.5 巨人 19.0 大洋 16.0
5位 阪神 5.0 巨人 6.5 巨人 巨人 16.0 大洋 18.0 阪神 19.5 阪神 20.5
6位 中日 7.5 中日 11.5 中日 17.5 中日 22.0 中日 30.0 中日 30.5 中日 30.0
1980年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 広島東洋カープ 73 44 13 .624 -
2位 ヤクルトスワローズ 68 52 10 .567 6.5
3位 読売ジャイアンツ 61 60 9 .504 14.0
4位 横浜大洋ホエールズ 59 62 9 .488 16.0
5位 阪神タイガース 54 66 10 .450 20.5
6位 中日ドラゴンズ 45 76 9 .372 30.0

オールスターゲーム1980[編集]

  • ファン投票
小林繁
若菜嘉晴
岡田彰布
掛布雅之
真弓明信
ラインバック
  • 監督推薦
山本和行

できごと[編集]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル
岡田彰布 新人王
ベストナイン
選出なし
ダイヤモンドグラブ賞
選出なし

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 中田良弘 投手 日産自動車 入団
2位 渡真利克則 内野手 興南高 入団
3位 石橋功行 投手 島根・大田高 入団
4位 山田和英 投手 大阪商業大学 入団

出典[編集]

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