1981年の阪神タイガース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1981年の阪神タイガース
成績
セントラル・リーグ3位
67勝58敗5分 勝率.536[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場
阪神甲子園球場
Summer Koshien 2009 Final.jpg
球団組織
オーナー 田中隆造
経営母体 阪神電気鉄道
監督 中西太
« 1980
1982 »

1981年の阪神タイガースでは、1981年シーズンについての阪神タイガースの動向をまとめる。

この年の阪神タイガースは、中西太監督の2年目のシーズン(途中就任の前年を含む)である。

概要[編集]

8月26日の試合後、江本孟紀が「ベンチがアホやから、野球ができへん」と発言し、その後の記者会見で首脳陣批判を展開したことにより、球団と話し合いが持たれ、シーズン途中に引退した[2]。シーズン終盤の10月11日、中西監督が成績不振の責任を取り、辞任を表明した[3]

チーム成績[編集]

レギュラーシーズン[編集]

開幕オーダー
1 デード
2 加藤博一
3 真弓明信
4 掛布雅之
5 岡田彰布
6 佐野仙好
7 オルト
8 若菜嘉晴
9 小林繁
1981年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 中日 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 巨人 1.5 中日 6.0 ヤクルト 7.5 阪神 9.0 ヤクルト 9.0 広島 6.0
3位 広島 6.0 広島 6.5 阪神 8.5 ヤクルト 12.0 阪神 11.5 阪神 8.0
4位 ヤクルト 8.0 ヤクルト 9.0 広島 9.0 中日 12.5 広島 12.5 ヤクルト 13.5
5位 阪神 8.0 阪神 10.0 中日 10.0 広島 12.5 中日 13.5 中日 16.0
6位 大洋 9.5 大洋 13.5 大洋 大洋 17.0 大洋 22.5 大洋 31.5
1981年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 73 48 9 .603 -
2位 広島東洋カープ 67 54 9 .554 6.0
3位 阪神タイガース 67 58 5 .536 8.0
4位 ヤクルトスワローズ 56 58 16 .491 13.5
5位 中日ドラゴンズ 58 65 7 .472 16.0
6位 横浜大洋ホエールズ 42 80 8 .344 31.5

オールスターゲーム1981[編集]

  • ファン投票
若菜嘉晴
岡田彰布
真弓明信
  • 監督推薦
小林繁
掛布雅之
藤田平

できごと[編集]

  • 8月4日 - 小林繁が横浜球場での対大洋16回戦の4回裏に屋敷要から三振を奪い、プロ通算1000奪三振を達成[4]
  • 8月7日 - 阪神の掛布雅之がナゴヤ球場での対中日17回戦の第一打席から第三打席まで3打席連続で安打を放ち、5日の対大洋17回戦の第二打席から10打数連続安打のプロ野球タイ記録。第四打席でショートゴロに倒れ記録は10でストップ[5]
  • 8月27日 - 阪神は大阪市内の球団事務所で記者会見し、江本孟紀を任意引退選手にしたと発表。さる26日の甲子園球場での阪神対ヤクルト19回戦に先発して降板後に報道陣に対し「ベンチがアホだから野球ができない」と首脳陣を批判するコメントを出し、27日、球団代表の岡崎義人が江本を呼びこの件について事情聴取したが、江本はこの席で退団を申し入れたのを球団に認められたため[6]
  • 9月9日 - 江本孟紀が午後、大阪市北区の阪神球団事務所を訪れ、任意引退の手続きを行う[7]
  • 10月23日 - 大阪市北区のホテル阪神にて午後2時から記者会見し、二軍監督の安藤統男の新監督就任を発表[8]

選手・スタッフ[編集]

表彰選手[編集]

リーグ・リーダー
選手名 タイトル 成績 回数
藤田平 首位打者 .358 初受賞
掛布雅之 最多出塁数 243個 初受賞
その他
選手名 タイトル
藤田平 カムバック賞
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
藤田平 一塁手 初受賞[注 1]
掛布雅之 三塁手 2年ぶり5度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名 ポジション 回数
藤田平 一塁手 初受賞[注 2]
掛布雅之 三塁手 2年ぶり3度目

ドラフト[編集]

順位 選手名 ポジション 所属 結果
1位 源五郎丸洋 投手 日田林工高 入団
2位 平田勝男 内野手 明治大学 入団
3位 月山栄珠 捕手 印旛高 入団
4位 福家雅明 投手 三菱自動車川崎 入団
5位 藤本雄司 投手 安芸工業高 入団
6位 服部浩一 内野手 大阪商業大学 入団

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 遊撃手部門で6度受賞しており、通算7度目。
  2. ^ 遊撃手部門で2度受賞しており、通算3度目。

出典[編集]

  1. ^ 年度別成績 1981年 セントラル・リーグ”. 2016年11月20日閲覧。
  2. ^ 【虎番疾風録(5)】「渡りに船」だった退団劇 江本「ベンチがアホやから、野球がでけへん」発言産経WEST 2018年8月8日
  3. ^ 【虎番疾風録(12)】新米記者に飛び込んできた中西監督「辞任劇」産経WEST 2018年8月22日
  4. ^ 毎日新聞1981年8月1日15面「小林、完投勝ち 1000奪三振」毎日新聞縮刷版1981年8月p111
  5. ^ 毎日新聞1981年8月8日15面「掛布の季節 やった10打数連続安打 日本タイ」毎日新聞縮刷版1981年8月p211
  6. ^ 読売新聞1981年8月28日17面「阪神・江本、突然の退団 首脳陣批判が問題に」読売新聞縮刷版1981年8月p1007
  7. ^ 読売新聞1981年9月10日17面「江本、引退表明」読売新聞縮刷版1981年9月p375
  8. ^ 読売新聞1981年10月24日17面「阪神『安藤監督』発表」読売新聞縮刷版1981年10月p997