1995年のル・マン24時間レース

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1995年のル・マン24時間レース
前年: 1994 翌年: 1996
1995年のコース

1995年のル・マン24時間レース24 Heures du Mans 1995 )は、63回目のル・マン24時間レースであり、1995年6月17日[1]から6月18日にかけてフランスル・マンサルト・サーキットで行われた。

概要[編集]

これまで長年隆盛を誇ってきたグループCカテゴリーのマシンが出場できなくなり、さらにGTカテゴリーのマシンが中心になった[2]。なお、バジェットキャップの一環として、ワークスチームの出場が見込まれたWSCとGT1ではテレメトリーシステムの使用が禁止された[2]

WSC[編集]

グループCカテゴリーのマシンの出場はできなくなったが、これまで同様に国際モータースポーツ協会との提携を継続し、プロトタイプカーであるWSCクラスの出走を認めた[2]

ロータリーエンジンを含め自動車メーカーから市販されているエンジンを搭載することが条件で、チューンにも細かい制限がある[2]。エンジン回転数もバルブ数や気筒数で制限があり、エンジンにより性能差が出ないよう吸気リストリクターも設定された[2]。ターボチャージャーを装備したり5バルブにしたりする場合は最低車重が増やされた[2]シャシやボディに関してはかなり自由だがダウンフォース拡大目的の装備はウィングのみとされ、前後ホイール間はフラットでなくてはならない[2]

規格に合致させたクラージュ・ポルシェやクレマー・ポルシェが4台参戦した[2]。マツダは、1991年のル・マン24時間レース総合優勝の実績からすればいささか物足りない性能ではあったが、ロータリーエンジンを搭載したDG3を1台走らせた[2]。他にフェラーリ・333SPが1台の計6台が参戦した。

GT1[編集]

ホンダ・NSX(チーム国光

エンジンもサスペンションも改造の幅が大きい。車両重量は自由だが50kg刻みで分けられ、ターボチャージャーの有無、排気量、バルブ数などとともに吸気リストリクター径が設定された[2]

グループCの参戦が禁止されたために多くのメーカーワークスのマシンの参戦が期待されたが、予想された程マシンが集まらず、「マクラーレン・F1GTR」、「ホンダ・NSX」、「日産・スカイラインGT-R」、「ポルシェ・911RSR」、「フェラーリ・F40LM」がワークスやセミワークスで参戦した[2]

GT2[編集]

オリジナルのエンジンを維持する必要があり、シリンダー数や配列の変更はできない[2]。サスペンションはベアリングやリンクは変更できるが主要構造部品は改造できない[2]。GT1との比較では性能が抑えられ、総合優勝を狙うのは無理があるとされた[2]。プライベートチームとジェントルマンドライバーの組み合わせでの参戦が中心であった。

LMP2[編集]

ル・マン独自のローコスト軽量規格だが、「WRプジョー」など3台が出走したのみで、この年限りで廃止となった[2]

予選[編集]

最高速が伸びる2台の「WRプジョー」が最前列を占め、2列目も「クラージュ・ポルシェ」で、GTカテゴリーのマシンは影が薄くなってしまいそうな印象であった[2]

決勝[編集]

スタート後1時間で雨が降り出し、「フェラーリ333SP」などのオープンボディーの車両が後退していった。レインコンディションの為レースのペースは遅く、信頼性の低いマシンには有利な展開となった[2]

設計者のゴードン・マレーが「クラッチやトランスミッションが24時間保つとは保証できないと」懸念を隠さなかったが、ヤニック・ダルマス/J.J.レート/関谷正徳[1]の乗るマクラーレン・F1GTRの59号車(スポンサーは「上野クリニック」)が24時間で4,055km[1]を平均速度168.992km/h[1]で走って総合優勝した。関谷正徳は、ル・マンで総合優勝した、初めての日本人ドライバーとなった。マクラーレン・F1GTRは3位[1]、4位[1]、5位[1]と多数入賞し、この年の主役となった[2]

日本車はマツダ・DG3、5号車の7位が最高位[2][1]、その次はGT2で出場したチーム国光ホンダ・NSX84号車の8位[2][1]であった(GT2クラス優勝)。日本のファンにとっては、日本のトップドライバーの1人である関谷正徳が優勝車のドライバーとして加わっていたのが救いであった[2]

出典[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.224-231「資料2」。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 『ルマン 伝統と日本チームの戦い』pp.27-154「ルマン24時間レースの歴史」。

参考文献[編集]