1998年自由民主党総裁選挙

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1998年自由民主党総裁選挙(1982ねんじゆうみんしゅとうそうさいせんきょ)は、1998年7月24日に行われた自由民主党総裁選挙である。

概要[編集]

第18回参議院議員通常選挙(7月12日投開票)で自民党が大敗し、橋本龍太郎首相が引責辞任をしたことにより行われた。最大派閥の小渕派では、劣勢が伝えられた投票日に竹下登の自宅に内閣官房長官村岡兼造ら派閥幹部が集結し、幹部が集まり、橋本の退陣及び、後継に会長の外務大臣小渕恵三を推すことで一致、橋本より竹下との協議が優先された[1]。有力候補の幹事長加藤紘一は選挙敗北の責任もあり、小渕総裁で順当に決まるはずだったが、この決定に梶山静六が反発し、派閥を離脱して(佐藤信二菅義偉も派閥を離脱)独自に総裁選に立候補し、分裂選挙となり、麻生太郎小此木八郎河野太郎[2]野田聖子[3]も梶山に投票した[1]。また、三塚派内では亀井静香らが梶山支持を主張し派閥の主導権を握ろうとしたが、小泉純一郎がこれに反発し、急遽立候補を表明。亀井グループとの対立が鮮明となった。

選挙では、当初の見立て通り小渕の圧勝で終わったが、それでも50票程度とみられた梶山は102票と3ケタを超え、小泉は84票と派閥の票も固めきれず、3位に沈み、2人棄権、1人無投票だった[1]

立候補者[編集]

選挙結果[編集]

候補者 得票数
小渕恵三 225票
梶山静六 102票
小泉純一郎 84票

当選者[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c “金融危機、白熱の政策論争 98年(平成10)自民総裁選 平成Politics30”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). http://archive.is/3ypZv  2018年8月30日閲覧。 
  2. ^ ごまめの歯ぎしり ハードコピー版 号外 『敗軍の兵、将を語る~1998.8~』敗軍の兵、将を語る - 河野太郎ウェブサイト
  3. ^ “野田聖子氏「小渕人事のすさまじさ、だんだん伝わる」 (5月4日付朝刊政界面関連インタビュー)”. 日本経済新聞社. (2014年5月4日). https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS3001I_R00C14A5I10000/ 2018年12月30日閲覧。