2000年の相撲
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2000年の相撲(2000ねんのすもう)は、2000年の相撲関係のできごとについて述べる。
大相撲[編集]
できごと[編集]
- 1月、14日に年寄大鳴戸(元前頭4枚目吉の谷)死去、50歳。1月場所後の番付編成会議で貴ノ浪の大関復帰を決定。役員改選が行われ、理事、監事共に選挙になった。理事長時津風が2選、新理事に若藤、若松、新監事に八角。
- 3月、3月場所後若乃花引退、年寄藤島襲名。場所後の番付編成会議で武双山の大関昇進決定。
- 4月、元前頭筆頭巌雄引退、準年寄巌雄承認。30日、横綱審議委員会の稽古総見が国技館の本土俵で行われた。初めて一般公開され、約4500人が来場した。
- 5月、力士会から有珠山火山活動災害義援金を日本赤十字社を通じて寄付した。5月場所千秋楽、優勝した魁皇に森喜朗首相が内閣総理大臣杯を手渡した。場所後の番付編成会議で雅山の大関昇進決定。
- 6月、大鵬親方が国技館で土俵入り。
- 7月、式守勘太夫が30代式守伊之助に昇格。場所後の番付編成会議で魁皇の大関昇進決定。
- 8月、元前頭北勝鬨引退、年寄勝ノ浦襲名。
- 9月、元関脇琴錦引退、準年寄琴錦承認。元関脇水戸泉引退、年寄錦戸襲名。9月場所後の番付編成会議で武双山が大関復帰。木村容堂が31代式守伊之助に昇格。
- 10月、秋巡業で横綱、大関らが握手会などの入場者サービスを行うようになった。
- 12月、決まり手を70手から82手に増やし、勝負結果も3つ増えて5に。
本場所[編集]
- 一月場所(両国国技館・9日~23日)
- 三月場所(大阪府立体育会館・12日~26日)
- 五月場所(両国国技館・7日~21日)
- 七月場所(愛知県体育館・9日~23日)
- 幕内最高優勝 : 曙太郎(13勝2敗,10回目)
- 十両優勝 : 若の里忍(13勝2敗)
- 九月場所(両国国技館・3日~17日)
- 十一月場所(福岡国際センター・5日~19日)
- 幕内最高優勝 : 曙太郎(14勝1敗,11回目)
- 十両優勝 : 金開山龍(12勝3敗)
- 年間最優秀力士賞(年間最多勝):曙太郎(76勝14敗)
参考文献[編集]
- 『相撲』誌各号
- 『大相撲戦後70年史』(ベースボールマガジン社、2015年)p108
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