4丁目 (マンハッタン)

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経路図:

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西4丁目
西4丁目とバンク・ストリート
西12丁目と交わる西4丁目(左右方向)

4丁目 (4th Street) は、ニューヨーク市マンハッタン南部の道路。アベニューDで東4丁目 (East 4th Street) として始まり、西4丁目 (West 4th Street) となるブロードウェイまで続く。西4番街は6番街で北へ曲がり、グリニッジ・ヴィレッジの西10丁目、11丁目、12丁目、13丁目と交差している。通りのほとんどは、ストリートグリッドのもとで、他の通りと同じように、縁石の間の幅が同じ40フィート (12 m)で、2車線の車寄せレーン、1車線の車両用レーンがあり、東行きへの一方通行である。7番街から8番街にかけての区間は、西行き(地理的には北行き)の一方通行となっており、幅はおよそ35フィート (11 m)で、もともとのグリニッジ・ヴィレッジのストリートグリッドの名残である。この西4丁目のおよそ3ブロック分は、ワシントン・スクエア公園の南端となっており、ワシントン・スクエア・サウス (Washington Square South) とも呼ばれる。南北方向の区間は、昔はアサイラム・ストリートと呼ばれていた。

建築物[編集]

マクドゥガル・ストリートと6番街の間、ワシントン・スクエア公園の南西端の近くに位置する、ワシントン・スクエア・メソジスト派教会(135 西4丁目)は、初期ロマネスク・リヴァイヴァル建築の大理石の建物で、ガマリエル・キングによって設計され、1859年から60年にかけて建設された[1]ベトナム戦争時にプロテスタントの支援をしたことから、「平和教会」という名が付いているワシントン・スクエア教会は、ブラックパンサー党やゲイ・メンズ・ヘルス・クライシスのような活動グループの地区内の拠点として長らく提供されている。この教会は、2005年、住居ユニットへの転換のために開発者へ売られた[2]。建設中、教会の一部は、ブルックリン、フォート・グリーンにあるカフェ、ウーバン・スプリングの家具や内部構造に使用するため、保存された。

ジャドソン記念教会は、トンプソン・ストリートとワシントン・スクエア・サウスの交差点に位置し、建築家のスタンフォード・ホワイトによって設計され、ステンドグラスはジョン・ラファージュが担当した。

6番街の西4丁目駅 (NYCS-bull-trans-A.svg NYCS-bull-trans-B.svg NYCS-bull-trans-C.svg NYCS-bull-trans-D.svg NYCS-bull-trans-E.svg NYCS-bull-trans-F.svg NYCS-bull-trans-M.svg系統) は、ニューヨーク市地下鉄のIND区間の主要乗り換え地点の1つである。

通りは、「ザ・カーゴ」として知られるバスケットボールハンドボールの西4丁目コートがある。ニューヨークの最も優れたバスケットボール選手のうちの幾人かは、ここを練習場としており、全市のストリートボールトーナメントの開催地でもある[3]

歴史的な場所と住民[編集]

西4丁目は、古くからヴィレッジの放浪者の生活の中心であった。ヴィレッジで最初の喫茶店、ザ・マッド・ハッターは、150 西4丁目に位置しており、知識人とアーティストのためのミーティングスポットとして利用された。

西4丁目と西12丁目の交差点

悪名の高いゴールデン・スワン・バー(ヘル・ホールとして知られる)は、6番街との角にあり、ユージン・オニールがしばしば訪れることで知られ、「ジ・アイスマン・コメス」の演奏のためにセッティングされていた。作家のウィラ・キャザーが最初にニューヨークに居住したのは、60 ワシントン・スクエア・サウス(ラガーディア・プレイスとトンプソン・プレイスの間の4丁目)であり、過激ジャーナリストのジョン・リードやリンカーン・ステファンは、42 ワシントン・スクエア・サウスの近くに住んでいた。リードは後に、スタジオクラブの部屋で、彼の十月革命の体験記となる『世界を揺るがした十日間』(その後、映画『レッズ』となる)の記事を完成させた。[4]

彫刻家で芸術後援者のガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニーは、1918年に、若いアーティストが仕事を集めたり、見せたりする場所として、147 西4丁目のブラウンストーンに、ホイットニー・スタジオ・クラブを設立した。この施設は、10年間運営され、後にホイットニー美術館となる[5]。アッシュカン・スクールの画家である、ジョン・スローンやエドワード・ホッパー(1920年にここで初めて展示を行った人物の1人)、社会主義リアリズムのレジナルド・マーシュ、イサベル・ビショップといった画家たちもここでキャリアをスタートさせた。スローンは、240 西4丁目に住み、ゴールデン・スワンを含む通り沿いの場所で絵を描いた。

この通りは、有名なフォーククラブ、ガーズ・フォーク・シティ(11 西4丁目)が後に置かれ、ニューヨークで1961年にデビューしたボブ・ディランサイモン&ガーファンクルを迎えた。ボブ・ディランは、1962年の初めから1964年の終わりまで、161 西4丁目にある、月$60の小さなスタジオアパートメントに住んでいた[6]。『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』のカバーは、西4丁目のジョーンズ・ストリート近くで撮影され、通りは1965年の彼の曲「寂しき4番街」でも歌われている。

音楽会場のボトムラインは、1974年から2004年まで、15 西4丁目に存在した。

出典[編集]

  1. ^New York City Landmarks Preservation Commission, Guide to New York City Landmarks, John Wiley and Sons: 2003, p. 50.
  2. ^Albert Amateau, "Washington Square church is sold", The Villager, Vol. 75, Num. 10, July 27, 2005 Online version
  3. ^Wight Martindale Jr., Inside the Cage: A Season at West Fourth Street's Legendary Tournament, Simon Spotlight Entertainment: 2005.
  4. ^Patrick Bunyan, All Around the Town: Amazing Manhattan Facts and Curiosities, Fordham Univ Press: 1999, pp. 143, 147.
  5. ^Janet Wolff, "Women at the Whitney, 1910–1930" in Bettina Messias Carbonell, editor, Museum Studies: An Anthology of Contexts, Blackwell Publishing: 2003, p. 485.
  6. ^ "Memoirs of a Girl From the East Country (O.K., Queens)", The New York Times, Anthony DeCurtis: May 11, 2008 Online version
  7. ^Howard Sounes, Down the Highway: The Life of Bob Dylan, Grove Press: 2002, pp. 108, 164.