コンストルクシオネス・アエロナウティカス S.A.

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コンストルクシオネス・アエロナウティカス S.A.Construcciones Aeronáuticas S.A.)は、スペインにかつて存在した航空機メーカーである。一般に、略称のCASA頭文字を繋いだ casaという語にはスペイン語で「家」という意味もある)で知られる。1923年に設立され、翌年から生産を開始した。1999年にはEADS(European Aeronautic Defence and Space Company)傘下のEADS CASAとなり、2009年、エアバス・ミリタリー(現エアバス・ディフェンス・アンド・スペース)に吸収された。

CASAは特に、CASA C-212アヴィオカー、CASA C-295のような軍用輸送機、あるいは練習機/地上攻撃機CASA C-101の設計・生産で知られている。

沿革[編集]

CASAは、1923年、ホセ・オルティス=エチャグエにより設立され、翌1924年5月、ヘタフェの工場で操業を開始した。フランスブレゲー社製航空機のライセンス生産から始まり、最初の注文は26機のブレゲー 19の偵察機型A2で、最終的にこの型の生産数は400機に達した。

CASAは1926年カディスに第二工場を建設、ドイツドルニエ製の飛行艇Do Jヴァルのライセンス生産を開始した。Do Jは、スペイン空軍向けに17機、スペイン海軍航空隊向けに12機、そして民間用に2機が生産された。さらに、航空機の修理・整備のため、国内に数箇所の拠点を設置した。

1929年には、初の自社設計機であるCASA-1が飛行。翌1930年には国王アルフォンソ13世が主工場を視察に訪れた。

ブレゲー 19はこの時期のCASAの主要生産機だったが、特にそのうちの2機は有名になった。

1機は長距離飛行用に改修されたブレゲー 19GRで、「ヘスス・デル・グラン・ポデル(Jesús del Gran Poder)」と名付けられたこの機体は、1928年、イグナシオ・ヒメネス、フランシスコ・イングレシアスが搭乗し、セビリアからブラジルのバイーアまで、6746キロメートルを43時間50分で飛行した[1]。現在この機体は、マドリード=クアトロ・ビエントス空港の航空博物館に展示されている。

もう1機も長距離用のブレゲー 19TF スーペル・ビドンで、1933年に製作され、「クアトロ・ビエントス(4つの風)」と命名され、同年、マリアーノ・バルベラン、ホアキン・コリャール・セラが搭乗し、キューバハバナまで飛行した[2]

1932年、CASAはイギリスのヴィッカース社より、雷撃機ヴィッカース・ヴィルデビーストのライセンス生産権を取得、25機を生産した。CASA製ヴィルデビーストは、オリジナルの空冷ブリストル ペガサスに替えて、液冷のイスパノ製600hpエンジンを搭載していた。

スペイン内戦時、CASAのヘタフェ工場は共和国軍勢力圏に位置していた。後に工場はアリカンテに移動、さらにもうひとつがサバデイに開設された。内戦が終結すると、生産拠点はヘタフェに戻された。内戦終結までに、CASAはソ連製の複葉戦闘機、ポリカルポフI-15を287機生産した。

内戦後、CASAはドイツからさまざまな機種のライセンス生産権を取得し、セビリアのタブラーダに新工場を開設。ゴータ Go 145A練習機をCASA 1.145の名称で25機、ビュッカー Bü 133 ユングマイスター練習機をCASA 1.133の名称で25機、ビュッカー Bü 131 ユングマン練習機をCASA 1.131の名称で555機生産した。これらの機体の生産は1950年代後半まで続けられた。

また、1940年代より、CASAはハインケル He111双発爆撃機のライセンス生産も行った。ドイツの敗戦と共に、オリジナルのユンカース ユモ 211用消耗部品の調達ができなくなったため、後の生産機ではロールス・ロイス マーリンエンジンを搭載した。CASA 2.111と名付けられたスペイン製ハインケルは、200機あまりが生産された。これらの機体は、「空軍大戦略」や「パットン大戦車軍団」などの戦後の映画にも、ドイツ空軍のHe111役で登場している。

独自設計による双発の輸送機、CASA C-201 アルコターンは1949年に初飛行した。12機の増加試作、100機の量産が予定されていたが、エンジン供給に問題があり、1956年までに11機が完成したのみで、エンジン無しで完成していた96機分の機体はスクラップにされた。

1943年以降、スペイン政府はCASAへの投資を始めた。当初は会社の33パーセントを取得、1992年には99.2パーセントにまで上昇していた。

1945年、CASAはマドリード工場を開設。CASAが製造するさまざまな機体の部品製作およびサブ・アセンブリを担当するとともに、修理や整備を請負った。1946年には企画室を再び立ち上げ、独自技術に基づく航空機設計を再開した。1957年、CASAはヨーロッパおよびトルコに駐留するアメリカ空軍F-100スーパーセイバーの整備、およびスペイン空軍の保有するT-33練習機のオーバーホールに関する契約を勝ち取った。1962年にはノースロップF-5A戦闘爆撃機のライセンス生産を開始。また1971年には、スペインの大手航空機メーカーだったイスパノ・アヴィアシオンを併合した。

CASAは、1972年フランスドイツイギリスとの間で結成されたエアバス・コンソーシアムのオリジナル・メンバーの1社となった。1977年にはスペイン空軍の練習/攻撃機、CASA C-101の開発・生産契約を獲得。1996年にはユーロファイター計画に加わった。

1999年、CASAはフランスのアエロスパシアル・マトラ(フランス)、ドイツのドルニエおよびDASA(ダイムラー・クライスラー・アエロスペース)と合併しEADSグループとなり、その傘下のEADS CASAとなった。現在ではCASA-235を主力製品としており、イタリア空軍などで現役である。また2016年にはフィリピン空軍南シナ海哨戒兼輸送機として初運用されるCASA-235を引き渡した。今後も各国で運用されている戦術輸送機を中心に、整備やアフターサービスなどを手掛ける。

製造した機体[編集]

参照[編集]

  • Taylor, Michael J. H. (1993). Studio Editions, ed. Jane's Encyclopedia of Aviation. London: Studio Editions. ISBN 1-85170-324-1.

脚注[編集]

  1. ^ Pérez San Emeterio, Carlos. "Entre Oriente y Occidente: Los vuelos del Jesús del Gran Poder|ur" ejercitodelaire.mde.es Ejército del Aire.(スペイン語)
  2. ^ Betes, Antonio. "Gloria y Tragedia del Vuelo Sevilla-Cuba-Méjico" ejercitodelaire.mde.es Ejército del Aire.(スペイン語)