MIM-3 (ミサイル)
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MIM-3 ナイキ・エイジャックス
MIM-3 ナイキ・エイジャックス(英: Nike Ajax)は、アメリカ陸軍が運用していた地対空ミサイルである。2段式ロケットであり、ナイキミサイルの最初の型として実用化され、アメリカ合衆国本土防空を担った。当初の制式名はSAM-A-7、後にM1と呼ばれる。
概要[編集]
ナイキの発射テストは1951年11月に初成功し、標的のB-17ドローン(無人機)を撃墜した。ナイキ・エイジャックスは、1953年12月にメリーランド州フォート・ミードへ最初に配備された。アメリカ陸軍は、まず1,000基のミサイルと60セットの器材を発注した。なお、ナイキ・エイジャックスの名称は1956年に与えられている。ミサイルは、二段式の固体燃料ロケットを用いており、一段目は下部に3枚の安定翼を持ち、ブースターとして機能する。誘導方式は地上からの無線指令誘導であり、追尾レーダー(MTR)による管制を受け、目標追尾レーダー(TTR)で捕捉されている敵性航空機に誘導される。航空機に接近したところで、二段目の頭部・中部・下部の3ヶ所に搭載された破砕弾頭が地上指令により起爆する。
ナイキ・エイジャックスは、アメリカ国内の戦略上及び戦術上重要な拠点を防衛するために配置され、空爆からの最終防衛線として軍事施設だけでなく都市を防衛するためにも配置された。1962年までに更に240の発射サイトが建設された。ナイキ・エイジャックスは、896門のレーダー追尾式対空砲と交替し、特定の重要な拠点を防衛するために陸軍州兵または陸軍が運用した。少数のM51 75mm高射砲だけが唯一の対空砲として残されたが、1957年までに陸軍の対空砲部隊は対空ミサイル大隊に置き換えられた。陸軍州兵は、1958年からエイジャックス・システムを採用し始め、同様に対空砲を更新した。
ナイキの発射サイトは、可能であれば既存の軍事基地または陸軍州兵兵器庫に配置された。そうしなければ、土地を新たに収用しなければならなかった。ナイキ・サイトの実際の構成は、地形によって若干異なっていたが、各々の発射サイトは次の3つの機能を持つ区画からなり、少なくとも1,000yd(914m)離されて配置された。サイトの維持にあたっては、109人の士官と兵員を要した。
- Cエリア
- Cエリアと呼ばれる区画は、約6ac(約24,000m2)の範囲に、目標を表示し、迎撃を指示するコンピュータ・システムに加え、侵入する目標を探知・追跡し、対空ミサイルを指揮・管制するためのIFC(Integrated Fire Control、統合火器管制)レーダー・システムを備えていた。
- Lエリア
- L(ランチャー)エリアと呼ばれる区画は、およそ40ac(約160,000m2)の範囲に、1つから3つの地下ミサイル弾倉を持ち、各々4基の発射機に給弾するようになっていた。また、退避用の安全地帯もあった。4基の発射機のうち、1つが15分待機にあり、残りの2つが30分待機、最後の1つが2時間待機の状態になっていた。それぞれの時間は、発射命令から発射準備が整うまでに要する時間を示し、常にミサイルが発射機に乗せられていつでも発射できる状態のものがもっとも短く、格納庫にしまわれていて、これから発射機に乗せなければならないもの、発射要員の招集など必要な準備の多さによって長くなっていく。
- Aエリア
- Aエリアと呼ばれる区画は通常IFCと同じ位置に配置される管理地域であり、中隊本部、兵舎、食堂、レクリエーション・ホール及び駐車場があった。
ナイキ中隊は防衛区域ごとに編成され、人口密集地と長距離爆撃機基地、原子力施設及び大陸間弾道ミサイル・サイトのような戦略拠点の周囲に配置された。防衛区域内のナイキ・サイトは、これらの都市と基地の周囲にリング状に配置された。防衛区域内のナイキ中隊には定数はなく、中隊の実際の数はバークスデール空軍基地防衛区域の最低2個からシカゴ防衛区域の最高22個まで幅があった。アメリカ合衆国本土全体では、サイトは北から時計回りに01-99まで番号を振られていた。その番号は実際のコンパス方位とは関係がなかったが、概ね01-25の番号を振られたサイトが北東から東にあり、26-50番のサイトは南東から南、51-75番のサイトは南西から西、そして、76-99番のサイトは北西から北にあった。また、米国本土の防衛区域は、都市名に関連する1文字または2文字のコードによって識別された。例えば、「C」から始まるそれらのナイキ・サイトはシカゴ(Chicago)防衛区域(イリノイ州)にあった。以下同様に、「HM」から始まるサイトはホームステッド(Homestead)空軍基地/マイアミ(Miami)防衛区域(フロリダ州)、「NY」から始まるサイトはニューヨーク防衛区域(ニューヨーク州)、などである。例えば、ナイキ・サイトSF88Lは、サンフランシスコ(SF)防衛区域(カリフォルニア州)の合衆国北西部(88)に位置する中隊のLエリア(L)を意味する。
1960年代前中期には、ナイキ・エイジャックス中隊は、ナイキ・ハーキュリーズ・システムに換装された。多くの中隊が同じ防衛能力を提供するのに必要とした労力を約半分にするほど、新型ミサイルにはより大きな射程と破壊力があった。陸軍の中隊はハーキュリーズ・システムに換装されたか、解散した。陸軍州兵部隊はハーキュリーズに換装する1964年までエイジャックス・システムを運用し続けた。非番のときは陸軍州兵部隊は家に帰ることができたため、結局、コスト削減策として陸軍部隊で運用していたナイキ・サイトは陸軍州兵が運用することになった。
日本[編集]
日本の陸上自衛隊でも第2次防衛力整備計画の一環で、1962年から2個大隊に装備が開始された。最初の1個大隊分の装備は、アメリカ合衆国より無償供与されている[2][3]。1964年より、広域防空は航空自衛隊の担当となり、機材は航空自衛隊に移管されている。これらは、後にナイキJミサイルに更新された。
仕様[編集]
MIM-3A[編集]
出典:Designation-Systems.Net[4]
- 全長:10.61m(34ft10in)
- 本体長:6.40m(21ft)
- ブースター長:4.21m(13ft10in)
- 翼幅:1.37m(4ft6in)
- 直径:0.30m(12in)
- ブースター直径:0.80m(2ft7.5in)
- 発射重量:
- 本体重量:450kg(1,000lb)
- ブースター重量:660kg(1,460lb)
- 速度:M2.3
- 到達高度:21,300m(70,000ft)
- 射程:48km(30mi)
- 機関
- ブースター:アレゲーニー弾道学研究所 M5 固体燃料ロケット・モーター
- :推力:246kN(55,000lb)
- :燃焼時間:3s
- サステナー:ベル・エアクラフト 液体燃料ロケット・モーター
- :推力:11.6kN(2,600lb)
- 弾頭:高性能炸薬破片効果弾頭×3
- :先端部 5.44kg(12lb)、中央部 81.2kg(179lb)、尾翼部 55.3kg(122lb)[5]
脚注[編集]
- ^ a b “Missile.index” (日本語). Missile.index Project (2005年11月20日). 2007年8月2日閲覧。
- ^ 第041回国会 外務委員会 議事録 第6号 昭和三十七年九月十九日
- ^ 昭和39年外交青書
- ^ Parsch, Andreas (2001年9月30日). “MIM-3” (英語). Directory of U.S. Military Rockets and Missiles. Designation-Systems.Net. 2007年8月2日閲覧。
- ^ “Nike Ajax (SAM-A-7) (MIM-3, 3A)”. Strategic Air Defense Systems. Federation of American Scientists (1999年6月29日). 2007年8月2日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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