日本電信電話
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![]() 大手町ファーストスクエア | |
種類 |
株式会社 日本電信電話株式会社等に関する法律による特殊会社 |
---|---|
機関設計 | 監査役設置会社[1] |
市場情報 | OTC Pink NTTYY |
略称 | NTT |
本社所在地 |
![]() 〒100-8116 東京都千代田区大手町一丁目5番1号 大手町ファーストスクエア イーストタワー |
設立 | 1985年(昭和60年)4月1日(創業:1952年(昭和27年)8月1日)(前身:日本電信電話公社) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 |
7010001065142 ![]() |
事業内容 |
NTTグループの統括 基礎的研究開発 オープンソース開発 |
代表者 |
澤田純(代表取締役社長) 島田明(代表取締役副社長) 澁谷直樹(代表取締役副社長) |
資本金 | 9379億5000万円 |
売上高 |
連結:11兆8798億4200万円 (米国会計基準営業収益) (2019年3月期) |
営業利益 |
連結:1兆6938億3300万円 (2019年3月期) |
純利益 |
連結:8545億6100万円 (2019年3月期) |
総資産 |
連結:22兆2951億4600万円 (2019年3月期) |
従業員数 |
連結:30万3351名 (2019年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
会計監査人 | 有限責任あずさ監査法人 |
主要株主 |
財務大臣 33.93% 日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 6.09% 日本カストディ銀行(信託口) 4.41% トヨタ自動車 2.17% ジェーピー モルガン チェース バンク 385632(常任代理人 みずほ銀行) 1.92% 日本カストディ銀行(信託口5) 1.47% 日本カストディ銀行(信託口7) 1.05% 日本カストディ銀行(信託口9) 0.90% モックスレイ・アンド・カンパニー・エルエルシー(常任代理人 三菱UFJ銀行) 0.89% 日本カストディ銀行(信託口6) 0.79% (2020年9月30日現在) |
主要子会社 | NTTグループ参照 |
外部リンク | group.ntt |
日本電信電話株式会社(にっぽんでんしんでんわ、英語: Nippon Telegraph and Telephone Corporation[2]、略称: NTT)は、日本電信電話株式会社等に関する法律(NTT法)に基づき、通信事業を主体とする企業集団であるNTTグループの持株会社として設立された特殊会社。
持株会社はグループ会社を統括する経営統括機能のほか、自社内に規模的にも技術的にも世界屈指の研究所を擁する。NTTの研究開発部門はグループ企業の事業用技術開発だけに留まらず、通信分野の技術標準化、学術研究、オープンソースソフトウェア(OSS)にも大きく貢献している。このような機能をあわせ持つため、持株会社としてはかなり大規模な、2,600人の従業員を擁している。
企業集団としてのNTTは有線通信事業、移動体通信事業、インターネット関連事業、情報システム・情報処理事業の情報通信関係が大きく、最近は海外での情報システム構築事業、国内の都市開発、電力エネルギー事業にも力を入れている。
本項では持株会社である日本電信電話株式会社単独の事項に加えて、NTTグループの概要を述べる。
概要[編集]

日本電信電話公社の事業を継承し、ユニバーサルサービスとしてNTT東日本、NTT西日本で電話回線の維持の義務を背負っている。主力事業は大きく分けて地域通信事業(固定電話やフレッツ光等のインターネット回線事業:NTT東日本、NTT西日本)、長距離国際通信事業(国際通信や県間通信事業、ISP事業等:NTTコミュニケーションズ等)、移動体通信事業(携帯電話事業:NTTドコモ)、データ通信事業(銀行等のデータ通信システム構築事業:NTTデータ、ディメンションデータ)の情報通信4分野がある。それらに比べ事業規模は小さいものの都市開発事業、電力エネルギー事業にも注力している。 発足当初は固定電話による収益に依存していたが、現在は営業利益の7割が移動体通信事業(携帯電話)に依存している状況である。各事業の詳細については#主なグループ企業を参照。
日本電信電話株式会社等に関する法律(通称「NTT法」、1984年12月25日 法律第85号)に基づき日本国政府が発行済株式総数の3分の1以上に当たる株式を保有する特殊会社で、同法第1条に「東日本電信電話株式会社及び西日本電信電話株式会社がそれぞれ発行する株式の総数を保有し、これらの株式会社による適切かつ安定的な電気通信役務の提供の確保を図ること並びに電気通信の基盤となる電気通信技術に関する研究を行うことを目的とする株式会社」と定められている。
TOPIX Core30の構成銘柄の一つ。国際電気通信連合のセクターメンバー。
沿革[編集]
- 1952年(昭和27年)8月 - 日本電信電話公社として創業した。
- 1985年(昭和60年)4月 - 日本電信電話株式会社法により日本電信電話公社を民営化し、日本電信電話株式会社を設立した。本社は東京都千代田区内幸町の日比谷電電ビル(現:NTT日比谷ビル)。
- 1987年(昭和62年)2月 - 各証券取引所に株式を上場。
- 1988年(昭和63年)7月 - データ通信事業本部の事業をエヌ・ティ・ティ・データ通信株式会社(現:株式会社エヌ・ティ・ティ・データ)に譲渡。
- 1992年(平成4年)7月 - 自動車電話・携帯電話・ポケットベル等の事業をエヌ・ティ・ティ移動通信網株式会社(現:株式会社NTTドコモ)に譲渡。
- 1995年(平成7年)9月 - 本社を東京都新宿区西新宿三丁目に移転。
- 1999年(平成11年)7月 - 県内通信事業を完全子会社の東日本電信電話株式会社及び西日本電信電話株式会社に、県間通信事業等を完全子会社のエヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社に譲渡。持株会社化。同時に本社を千代田区大手町の逓信ビルに移転。
- 2013年(平成25年)12月 - 本社を東京都千代田区大手町一丁目のファーストスクエアイーストタワーに移転。
- 2018年(平成30年)8月7日 - NTTグループのグローバル持株会社としてNTT株式会社(英語: NTT, Inc.)を設立し、グローバルR&Dを強化[3]。
歴史[編集]
第二次臨時行政調査会による三公社の民営化論議[編集]
第2次オイルショックにより、1981年(昭和56年)3月に鈴木内閣は、日本経済団体連合会(経団連)の名誉会長土光敏夫を会長とし増税なき財政再建をスローガンとし第二次臨時行政調査会が発足させた[4]。
第二次臨調の答申事項のひとつとし、政府公社の民営化が含まれていた。この答申を受け中曽根内閣の民活路線のもと、3公社(日本電信電話公社、日本専売公社 → 日本たばこ産業、日本国有鉄道 → JR各社)の民営化が論議されていった。
日本電信電話公社の民営化の閣議決定[編集]
1984年(昭和59年)7月17日、内閣にて「日本電信電話株式会社法案」、「電気通信事業法案」及び「日本電信電話株式会社法及び電気通信事業法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律案」(電電改革三法案)が審議され、施行期日は、1985年(昭和60年)4月1日とされた。その後、数度の審議を経て1984年(昭和59年)12月20日電電改革三法案が衆参両議院にて可決され、日本電信電話公社の民営化が決定された。
日本電信電話株式会社法、電気通信事業法案及び日本電信電話株式会社、電気通信事業法の施行に伴う関係法律の整備等に関する法律の概要については、次のとおりであった。
- 日本電信電話会社法
- 日本電信電話株式会社は、国内電気通信事業を経営することを目的とする株式会社とし、国内電気通信事業を営むほか、郵政大臣の認可を受けて、これに附帯する業務その他会社の目的を達成するために必要な業務を営むことができる。
- 会社の責務とし事業を営むに当たって、常に経営が適正かつ効率的に行われるよう配意し、国民生活に不可欠な電話の役務を適切な条件で提供することにより、当該役務のあまねく日本全国における安定的な供給の確保に寄与する。電気通信技術に関する実用化研究、基礎的研究の推進、その成果の普及を通じて我が国電気通信の創意ある向上発展に資するよう努めなければならない。
- 会社の株式は、政府が常時、発行済み株式総数の三分の一以上の株式を保有していなければならない。また、政府の保有する会社の株式処分は、その年度の予算をもって国会の議決を経た限度数の範囲内でなければならない。なお、外国人及び外国法人等は、会社の株式を保有することができない[5]。
- 新株の発行、取締役及び監査役の選任等の決議、定款の変更等の決議、事業計画、それに重要な設備の譲渡については、郵政大臣の認可を受けなければならない。
- 郵政大臣は、新株の発行、定款変更等の決議、事業計画、重要な設備譲渡についての認可をしようとするときは、大蔵大臣に協議しなければならない。
- 政府は、会社の成立の日から5年以内に、この法律の施行の状況及びこの法律の施行後の諸事情の変化等を勘案して会社のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとすることを定める。
- 電気通信事業法
- 電気通信事業者が取り扱う通信の秘密の保護、検閲の禁止、利用の公平及び重要通信の確保。
- 電気通信事業を、みずから電気通信回線設備を設置して電気通信役務を提供する第一種電気通信事業と、第一種電気通信事業者から電気通信回線設備の提供を受けて電気通信役務を提供する第二種電気通信事業とに区分する。第一種電気通信事業については、電気通信回線設備が著しく過剰とならないこと等、事業の安定性、確実性を確保するため、事業の開始を郵政大臣の許可とする。また、その料金については、国民生活、国民経済に重大な影響を及ぼすため、郵政大臣の認可事項とする。第二種電気通信事業については、多種多様な通信需要に応じた電気通信役務の提供が予想される分野のため、原則として届け出で事業を開始できることとする。ただし、不特定多数を対象とする全国的、基幹的事業及び外国との間の事業は特別第二種電気通信事業とし、事業の開始を郵政大臣の登録事項とする。
- 第一種電気通信事業、特別第二種電気通信事業については、電気通信設備について、国が一定の技術基準を定め、良質かつ安定的な電気通信役務の提供を確保するとともに、端末設備について、一定の技術基準を定めた上で、利用者が自由に設置できるものとする。
- 郵政大臣が事業の許可、料金の認可等この法律に基づく重要な処分をしようとする場合には、審議会に諮り、その決定を尊重してこれをしなければならない。
- 政府は、この法律の施行の日から三年以内に、この法律の施行の状況について検討を加え、必要な措置を講ずる。
- 日本電信電話株式会社法及び電気通信事業法
- 日本電信電話公社法の廃止に伴い、同法及び日本電信電話公社の名称を引用している関係法律について、引用部分の削除、名称の変更等所要の改正を行うこと。
- 日本電信電話公社が改組され日本電信電話株式会社になった後も、共済制度を適用することとし、関係法律について所要の改正を行うこと。
- 会社の労働関係については、労働三法によることとし、公共企業体等労働関係法は適用しないこととするとともに、調停に関する暫定的な特例措置を定めるため、関係法律について所要の改正を行うこと。
日本電信電話株式会社の設立[編集]
1985年(昭和60年)4月1日の「日本電信電話株式会社法」の施行により、日本電信電話が発足した。発行済株式総数は1,560万株、資本金7,800億円(額面5万円)で、持株比率は大蔵大臣100%であった。
政府が所有していた株式が株式公開されることとなった。これに伴い、1987年(昭和62年)2月9日に日本電信電話は証券コード9432が割当てられ、東京証券取引所、大阪証券取引所、名古屋証券取引所第一部に上場した[6]。
1987年(昭和62年)2月9日に政府保有株式186万株が放出されたが、上場初日に買注文が多いため値付けができず。翌2月10日に政府はさらに10万株を放出する事とし、160万円が初値となった。その2ヶ月後の1987年(昭和62年)4月22日には史上最高値の318万円まで株価が高騰した。その後、同年7月に株式市場全体の暴落により、同社の株式も225万円まで下落した後、乱高下を繰り返し、同年秋には株価300万までに回復した[7]。
この動向を見守っていた大蔵省(現・財務省)は、1987年(昭和62年)11月に政府は保有株式195万株の第2回売り出しを行い、この時は255万円の値がついた。さらに、1988年(昭和63年)10月に政府は、保有株式150万株の第3回売り出しを行い株価は190万円となった。
政府はこの計3回で540万株の保有株式の売り出しを行い売却代金10兆2000億円が国庫に入る事になった。日本電信電話も、株式需給の悪化の株価低迷に対する信頼性回復のために、1990年(平成2年)10月自民党電気通信問題調査会政策小委員会に、外国人の株式所有解禁、政府保有株式の買い入れによる償却等を要望した。
また郵政省は電気通信審議会の答申も受け、「外国人の株式所有を議決権の20%未満まで解禁する」、「外国人の役員就任を禁じる」等を含む「日本電信電話株式会社法等の一部を改正する法律」を1992年(平成4年)5月に成立させ、1992年(平成4年)8月1日施行となった。
日本電信電話は、この改正による外資規制の緩和にもとづき、1994年(平成6年)9月29日にはニューヨーク証券取引所へ、同年10月12日にはロンドン証券取引所に上場した。
グループ企業戦略[編集]
1985年(昭和60年)4月11日に日本電信電話の最初の子会社であるNTTリース株式会社が設立された。日本電信電話の民営化と同時にNTTリースを子会社として設立した背景には、電気通信事業法により、電話機等の通信端末の自由化が可能となったことから、日本電信電話も通信機器の売り切りを開始する事が可能となり、販売商品方法として割賦販売やリース販売に対応する必要があったためである。
日本電信電話公社時代は、「日本電信電話公社法」の下で、法的制約が厳しく、事業運営上、必要最小限の範囲で委託会社への出資しか認められていなかった。
日本電信電話は、民営化により電気通信事業の自由化に伴う新規参入業者との競争に対抗できるように、組織のスリム化の推進を進めるとともに、事業の多角化と事業領域の拡大をめざし、新たな分野への参入を図る事とした。
日本電信電話グループ企業は、「事業領域の拡大を目指した新規事業会社」、「従来より事業部として事業を分離した企業」、「同社が保有していた専門機能を集約・特化して分社化する企業」の3形態に分類される。
この戦略のひとつとして、1988年(昭和63年)5月23日に事業分離型企業としてソフトウェア開発の株式会社NTTデータが分社化された。
このような動向については、民営化後もその事業範囲の広大さと経済への影響力の大きさから、米国の圧力により国鉄分割(JR7社)のような地域分割論が噴出し政治問題化したため、日本電信電話は地域分割を回避すべく、子会社化することで分割をかわしてきたとする見方もある。
会社成立5年後の再検討[編集]
「日本電信電話株式会社法」の附則で会社の成立の日から5年以内に、同社設立後の諸事情の変化等を勘案して会社のあり方について検討を加え、その結果に基づいて必要な措置を講ずるものとすることを定めていた。
1989年(平成元年)10月、電気通信審議会は「今後の通信産業の在り方に」に関する答申を提出した。答申では、現行の組織形態での改善には自ずと限界がある、電気通信市場のさらなる競争、経営効率化等の観点から「組織の再編成が検討されるべきだ」と指摘し、具体案とし3案が提示された。
- 地域別再編成
- 市内市外分離で市内全国1社
- 市内市外分離で市内複数社
この中間答申について、日本電信電話は反対、公正取引委員会、日本経済団体連合会、電気通信産業連盟等が「時期尚早」という結論を公表、郵政省や新電電各社が支持の姿勢を打ち出した。このような状況の下、1990年(平成2年)3月、電気通信審議会は最終答申とし「日本電信電話株式会社法附則第2条に基づき講ずるべき措置、方策等の在り方―公正有効競争の創出と技術革新―」を郵政大臣に提出した。最終答申では、再編については 「市内市外分離で市内全国1社」方式に絞り込み、実施時期を1995年度(平成7年度)を目途にするとした。また、移動体通信業務を同社から分離したうえで完全民営化するとし1両年内に速やかに実施するよう提言するものであった。
郵政省は電気通信審議会最終答申に提示された市内・市外分離案の実現に向け調整を図ったが、答申後、株主の不安を招いて同社株の株価が低迷し、大蔵省も株主、国民の利益が保証されなければ分離分割を承服できないと強く反発の意を表明した。最終的に自民党は当面分割は、実施しない事とし、公正有効競争の促進等の措置の実施状況を踏まえた上で、必要と認められる場合には1995年度(平成7年度)において再度検討を行い、結論を得るとの方針を決定した。
再編成の検討[編集]
1995年(平成7年)4月、政府方針によって5年間後に再検討とされた経営形態に関する議論が、郵政大臣による電気通信審議会への諮問によって開始された。電気通信審議会は諮問を受けてNTTの在り方に関する特別部会を設け検討を開始した。同年7月に行政改革委員会の規制緩和小委員会が40項目について規制緩和に関する論点を公開した。まず、新事業者がサービスを提供するためには、競争相手でもある日本電信電話の地域通信網に依存せざるをえない市場構造になっており、それに起因する公正競争上の問題が発生していると指摘した。また、電話料金の低廉化のためには、日本電信電話の地域網の効率化が不可欠であるものとした。1995年(平成7年)12月、規制緩和小委員会は、「光り輝く国を目指して」と題した規制緩和最終報告をまとめ、情報通信分野に関しては、構造改革の大きな柱として、電気通信事業の規制緩和と日本電信電話のあり方をあげたが、その最終判断は電気通信審議会へと委ねるとした。1996年(平成8年) 2月に、電気通信審議会は「日本電信電話株式会社の在り方について―情報通信産業のダイナミズムの創出に向けて―」とする答申を提出し、1998年(平成10年)を目途に、日本電信電話を長距離通信会社と2社の地域通信会社に再編成するとの提言を公表した。
政府は、この電気通信審議会の答申を受けて、1996年(平成8年)3月に、自民党・社民党・さきがけの連立与党3党による「NTTの経営形態に関するワーキングチーム」を設置して検討したが、連立与党内にも、基本的には電気通信審議会答申を尊重すべきとする意見と分離・分割に反対する意見の対立があり、意見調整がつかず、結論を次の通常国会まで先送りする事とした。
再編成の再検討[編集]
1996年(平成8年)12月6日、郵政省は純粋持株会社の下に長距離通信会社1社と地域通信会社2社に再編成するという内容としてまとめた「NTTの再編成についての方針」を発表した。「持株会社に関する関連法案」の改正や「事業譲渡益課税の特例」等のこの発表と関連する事項について併せて検討が行なわれ、第140回通常国会に独占禁止法改正法案が提出され、1997年(平成9年)6月に「独占禁止法改正法」が成立した。この成立により、日本電信電話株の再編成の前提条件である純粋持株会社の解禁が確定した。
日本電信電話法の改正[編集]
1997年(平成9年)6月に「日本電信電話株式会社法の一部を改正する法律」が成立し日本電信電話の再編成が決定した。この改正法では、持株会社と地域会社2社は特殊会社となり、長距離会社は完全な民間会社とされた。
持株会社としての日本電信電話の目的は「地域会社が発行する株式の総数を保有し、地域会社による適切かつ安定的な電気通信役務の提供の確保と電気通信の基盤となる電気通信技術に関する研究を行う」とした。持株会社の取締役や監査役の選任・解任の決議は、郵政大臣の認可を必要とするとされた。
地域会社は「地域電気通信事業(同一都道府県の区域内における電気通信業務)を経営することを目的とする」とし、東日本電信電話株式会社(NTT東日本)、西日本電信電話株式会社(NTT西日本)、それぞれの業務区域を定めた。地域会社は特殊法人としての政府規制が残るが、役員の選任・解任、利益処分について郵政省の認可が不要とされた。
日本電信電話の再編成[編集]
1999年(平成11年)1月、日本電信電話は再編成後の組織づくりのため、「持株会社移行本部」、「東日本会社移行本部」、「西日本会社移行本部」、「長距離国際会社移行本部」の4移行本部に改組した。1999年(平成11年)7月1日、地域会社として東日本電信電話株式会社(NTT東日本)、西日本電信電話株式会社(NTT西日本)、長距離会社としてエヌ・ティ・ティ・コミュニケーションズ株式会社(NTTコミュニケーションズ)が設立された。
日本電信電話は、既に分社化されたNTTデータ(1988年(昭和63年)設立)とNTTドコモ(1992年(平成4年)設立)等をグループ会社とする持株会社となった。
現在NTTという呼称は、NTT東日本、NTT西日本、NTTコミュニケーションズを抱合する固定通信事業(固定電話やブロードバンドサービス等、分割前の日本電信電話自身が行っていた電気通信事業)を指すことが多い。
「日本電信電話株式会社等に関する法律」(NTT法)第3条により、「会社及び地域会社は、それぞれその事業を営むに当たつては、常に経営が適正かつ効率的に行われるように配意し、国民生活に不可欠な電話の役務のあまねく日本全国における適切、公平かつ安定的な提供の確保に寄与するとともに、今後の社会経済の進展に果たすべき電気通信の役割の重要性にかんがみ、電気通信技術に関する研究の推進及びその成果の普及を通じて我が国の電気通信の創意ある向上発展に寄与し、もつて公共の福祉の増進に資するよう努めなければならない」とされているが、具体的且つ個別・直接的な義務は負っていない。ただし、電気通信事業法第7条および同施行規則第14条・第40条により、NTT東日本とNTT西日本は基礎的電気通信役務(固定電話・公衆電話・緊急通報、いわゆるユニバーサルサービス)を離島を含めた全ての市町村を対象に提供する義務を負っている。NTT法第2条第4項により、県境を越える通信サービスを開始する場合は総務省の認可が必要であったが、2011年(平成23年)の同法改正により事前届出制に変更された。
現在も、基礎研究を手掛ける研究部門は分割されず持株会社内部に残っている。持株会社の事務部門は基本的には子会社からの出向という形を取っているが、研究職は持株会社が独自に採用している。また、独自に研究セクションを設けた子会社もある。
再編成にあたって、「日本電信電話株式会社法」による規制の有無と業態によりグループ会社を第1類 - 第4類に分類し、事業・サービスの整理・統合を進めている。なお、第1分類は規制会社でNTT東日本、NTT西日本が、第2分類は競争会社でNTTコミュニケーションズ、NTTデータ、NTTドコモ、第3分類は経営資源活用会社でNTTコムウェア、NTTファシリティーズ等が、第4分類は新事業開拓会社でNTTファイナンス、NTT都市開発等が該当する。
歴代社長[編集]
代数 | 氏名 | 在任期間 | 出身校 | 備考 |
---|---|---|---|---|
初 代 | 真藤恒 | 1985年(昭和60年) - 1988年(昭和63年) | 九州帝國大学工学部 | リクルート事件で逮捕・有罪 |
第2代 | 山口開生 | 1988年(昭和63年) - 1990年(平成 | 2年)東京大学第二工学部 | |
第3代 | 児島仁 | 1990年(平成 | 2年) - 1996年(平成 8年)北海道大学法経学部 | |
第4代 | 宮津純一郎 | 1996年(平成 | 8年) - 2002年(平成14年)東京大学工学部 | |
第5代 | 和田紀夫 | 2002年(平成14年) - 2007年(平成19年) | 京都大学経済学部 | |
第6代 | 三浦惺 | 2007年(平成19年) - 2012年(平成24年) | 東京大学法学部 | |
第7代 | 鵜浦博夫 | 2012年(平成24年) - 2018年(平成30年) | 政府による異例の取締役再任拒否で会長に就かず退任[8] 総務審議官らを違法接待 | |
第8代 | 澤田純 | 2018年(平成30年) - | 京都大学工学部 | 総務審議官らを違法接待 |
総務省に対する違法接待問題[編集]
一連の問題に先立ち、野田聖子総務大臣が、2017年11月22日と2018年3月29日に、NTTドコモの立川敬二元社長らNTT幹部と、NTTグループが運営する麻布十番のKNOXで会食していた。2021年3月10日にこれが報じられると、総務省とは無関係なプライベートの会合であり、報道を受け会食費用2万6000円の返還もしており、接待ではないとの説明が2021年3月11日に自由民主党本部で野田より行われた[9][10][11]。
その後、歴代社長たる鵜浦博夫や澤田純や、NTTデータの岩本敏男が、2018年や2020年に鈴木茂樹総務審議官や、谷脇康彦総務審議官、山田真貴子総務審議官、秋本芳徳総務省電気通信事業部長、金杉憲治外務審議官らに対し、NTTグループ関連会社のレストランで、多額の接待をした。2021年3月3日に週刊文春の報道がなされると、NTTも「会食を行ったことは事実」と認めた[12][13][14]。NTTは総務大臣から事業計画などの認可を受けて経営されており、一般職国家公務員の場合、総務省幹部がNTT側から供応接待を受けることは、国家公務員倫理法に抵触する疑いがある[14]。
また、2018年6月には鵜浦の取締役再任人事が携帯電話料金値下げを目指していた政府に拒否され、代わって異例の人事で篠原弘道が会長に昇格したが[15]、その月にNTT側の費用負担で、篠原と坂井学総務副大臣が会食を行った[16]。
2018年の9月4日と9月20日には、当時局長だった谷脇がNTTグループが運営する麻布十番の会員制レストランKNOXで、接待を受けていた[14]。9月4日はNTT社長を退任したばかりの鵜浦博夫相談役ら3人で会食し、総額30万2千円と一人10万円を超える接待を受けた[14]。9月20日はNTTの澤田社長ら3人で会食し、総額8万7千円だった[14]。NTT側からの接待は、3回合計の総額で58万円超、谷脇が受けた接待額は計17万円を超える計算になる[17]。1回目の接待は2万円の「フレンチコース」に13万5000円の赤ワイン、3回目は1万6000円の「ヘルシーコース」に、3万4000円の赤ワインや4万8000円の大吟醸などが振る舞われた[18]。国家公務員の倫理規程では、1万円を超える接待の場合は届け出が必要だが、谷脇は一度も届けを出していなかった[18]。
2018年11月、澤田が鈴木茂樹総務審議官と、秋本芳徳総務省電気通信事業部長を接待し、NTT側が全額を負担した[19]。
2019年12月20日と2020年9月1日に澤田が、島田明副社長らとともに高市早苗総務大臣とKNOXで会食したとも報じられた。これに関し高市から2021年3月10日付で反論がなされ、いわゆる「接待」にはあたらず、また各2回ともにNTT側から指定された会費1万円の支払いと、1万6500円相当の土産の提供を行ったことや、差額がある場合には支払う意向であることを同日に伝達したとの説明もなされ[20][21][22]、その後、実際に返金が行われた[23]。
2020年6月4日には山田が総務省の巻口英司国際戦略局長とともにNTTグループの関連会社が運営するレストランを訪れていた[14]。接待したのはNTTの澤田純社長と北村亮太執行役員で、4人の飲食代は総額で約33万円(割引前)だった[14]。NTTら会員企業は100万円単位の年会費を店側に支払っており、会員企業の場合、代金が4割引きになる[14]。
2020年7月3日には谷脇が再び同じ店にある「ピオニー」と呼ばれる最上級の個室で、NTTデータの岩本前社長から接待を受けていた[14][18]。当時、外務審議官だった金杉憲治も同席しており、計4人の飲食代の合計は約19万3千円だったものの[14]、外務審議官は利害関係者にはあたらないとの説明が、2021年3月5日の参議院予算委員会で茂木敏充外務大臣からなされ[24]、加藤勝信内閣官房長官も、金杉への聞き取りは実施しないとの考えを示した[25]。
2020年9月には、澤田が寺田稔総務副大臣と会食し、費用はNTT側が負担したと、2021年3月10日に週刊文春で報道された[26][21]。2021年3月10日付の週刊文春電子版(文春オンライン)での報道を受け、寺田事務所からは「慰労会のつもりだった」との釈明と、会食費分を返金する意向が表明された[27]。
2020年11月には、武田良太総務大臣が澤田らと会食したが、食事は注文せず、費用として1万円を支払ったとし、国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範への抵触はなかったと説明した[28]。
先だって発覚した東北新社役職員による総務省幹部接待問題を受け、総務省では有識者による検証委員会が立ち上げられ、トップには谷脇の高校の後輩にあたる新谷正義総務副大臣が就任すると発表されていたが、3月10日に週刊文春により、2020年11月に新谷の秘書がNTTから接待を受けており、新谷自身も2021年1月に会食する予定だったが新型コロナウイルス感染症の世界的流行を受け中止となったと報じられた[29][30][22]。その後、12日に検証委員会には総務省職員は加わらず、第三者のみで組織されると構成が変更された[31]。
なお、2021年3月1日に衆院予算委で森山浩行議員から「東北新社以外の衛星放送各社、民放やNHK、あるいは通信会社の社長から接待を受けたことはありますか」と問われ、谷脇は「公務員倫理法に違反する接待を受けたということはございません」などと答えていた[14]。
また、当時総務審議官だった山田真貴子が、NTT社長らとも会食をしていたと週刊文春で報じられたことについて、政府は2021年3月4日の参院予算委員会で山田に事実確認をしない考えを示した[32]。菅義偉は、山田が3月1日に辞職した際にNTT社長らとの会食を知らなかったのかと日本共産党の田村智子に尋ねられ「承知していませんでした」と答えた[32]。田村が「山田氏への事実確認は当然行いますね」と尋ねると、加藤勝信官房長官は「既に退任されているので、当方から事実確認する立場にはないと思っている」と答弁した[32]。田村が「なぜ事実確認されないのか」と質問すると、加藤官房長官は「既に退任されて一般の方になっているわけですから、政府側が確認する立場にはない」と説明した[32]。田村が「それでは菅政権は接待問題を究明する立場にないことになる」と追及すると、菅は「そこはルールに基づいてしっかり対応している」と主張した[32]。
2021年3月5日、巻口英司国際戦略局長は、接待に山田も同席していたことを認めた上で、会費としてNTT側から求められた1万円を支払ったと説明した[33]。
3月5日の参院予算委員会で、谷脇は、2020年7月の計4人の飲食代の合計は約19万3千円だった会食に関して「会費として5,000円を支払った」と答弁した[34]。
谷脇は国会答弁で3回とも「会費を支払った」としたが、総務省は3月8日、3回のうち2回で払っていなかったと認定する調査結果を発表した[35]。武田良太総務相は3月8日、「(国家公務員対象の)倫理法令に違反する疑いが高い」と述べた上で、谷脇を大臣官房付に更迭する人事を発表した[35][36][37]。
3月9日、NTTは特別調査委員会を設置し、社外取締役を務める榊原定征日本経団連名誉会長が委員長に、伊藤鉄男元次長検事などが委員に就いた[38]。一連の会食のうち、政治家との会食については、法的な問題のない一般的な意見交換であるため、調査対象外とされた[39]。
3月15日、澤田が参議院予算委員会で答弁に立ち、NTTが野党の国会議員にも接待をしていたことを明かした。自由民主党幹部も、「野党の誰が会食をしていたかは知っている」などと野党への牽制を行った[40]。
3月16日、谷脇が3か月の停職処分を受けたのちに辞職し、巻口が減給2か月10分の1の懲戒処分を受けた[41]。17日、白眞勲参議院議員からの提出要求により、谷脇の公用車の運行記録が破棄されていることが判明した[42]。
NTTグループが手がける主なサービス[編集]
有線での通話・通信事業[編集]
- 電報:1869年(明治2年)開始(現・NTT東日本・西日本)
- 加入電話:1890年(明治23年)開始(現・NTT東日本・西日本)
- キャッチホン:1970年(昭和45年)開始(現・NTT東日本・西日本)
- フリーダイヤル:1985年(昭和60年)開始(現・NTTコム)
- ISDN(INSネット):1988年(昭和63年)開始(現・NTT東日本・西日本)
- ダイヤルQ2:1989年(平成元年)開始(現・NTT東日本・西日本)
- テレジョーズ:1992年(平成4年)開始(現・NTTコム)
- テレドーム:1993年(平成5年)開始(現・NTTコム)
- テレゴング:1993年(平成5年)開始(現・NTTコム)
- テレホーダイ:1995年(平成7年)開始(現・NTT東日本・西日本)
- テレチョイス:1995年(平成7年)開始(現・NTTコム)
- キャッチホン2:1995年(平成7年)開始(現・NTT東日本・西日本)
- ナビダイヤル(NTTコム)
- フレッツシリーズ 「フレッツADSL、フレッツ光、フレッツISDN」(NTT東日本・西日本)
- ナンバーディスプレイ(現・NTT東日本・西日本)
- ひかり電話(現・NTT東日本・西日本)
- ひかりTV(NTTぷらら)
事業者識別番号[編集]
移動体通信事業[編集]
- 新幹線の列車公衆電話サービス:1965年(昭和40年)開始(現・NTTコム) - 新幹線列車への着信、新幹線列車からの発信。2004年(平成16年)6月、着信サービス終了。
- 携帯電話 「mova」 「DoPa」 「FOMA」 「Xi(クロッシィ)」(現・NTTドコモ):「mova」「DoPa」2012年(平成24年)3月サービス終了
- PHS(旧・NTTパーソナル→現・NTTドコモ):1997年(平成9年)終了
- ポケットベル「クイックキャスト」(現・NTTドコモ):2007年(平成19年)終了
- 衛星通信 ワイドスター(現・NTTドコモ他)
- 船舶電話(ドコモ・モバイル)
公衆無線LAN[編集]
- NTTブロードバンドプラットフォーム(インフラ構築)Wi-Fine
- ホットスポット(NTTコミュニケーションズ)
- docomo Wi-Fi(NTTドコモ)
- フレッツ・スポット(NTT東西)
インターネット・サービス・プロバイダ[編集]
- OCN(現・NTTコミュニケーションズ)
- plala(現・NTTぷらら)
- インフォスフィア(現・NTTPCコミュニケーションズ)
- goo(現・NTTレゾナント)
- mopera(現・NTTドコモ)
- WAKWAK(現・NTT-ME)
金融・リース[編集]
スマートエネルギー事業[編集]
- NTTアノードエナジー
その他事業[編集]
- CAFIS「クレジットカードオンラインシステム」(現・NTTデータ)
- 銀行オンラインシステム(NTTデータ)
- 都市開発(現・NTT都市開発、現・NTTファシリティーズ)
- 国際電話(現・NTTコミュニケーションズ)
- テレビジョン中継回線
- ドットコムマスター(.com Master)(現・NTTコミュニケーションズ)
災害対策基本法関連[編集]
NTTグループのうち、以下の企業は災害対策基本法で指定公共機関の指定を受けており、災害発生時に通信を確保する義務を負っている。
- 日本電信電話(当社)…グループ全体における通信業務の調整
- NTT東日本・NTT西日本
- NTTコミュニケーションズ
- NTTドコモ
ライバル企業のKDDIやソフトバンクも、1社で上記サービスや携帯電話サービスを行っていることから同法に基づく指定を受けている。
主なグループ企業[編集]
- 第1分類(規制会社)
- 第2分類(競争会社)
- NTTコミュニケーションズ - 長距離・国際通信事業
- NTTドコモ - 移動体通信事業
- NTTデータ - データ通信事業
- 第3分類(経営資源活用会社)
- NTTファシリティーズ - 建築・電力事業
- NTTコムウェア - システム開発事業
- 第4分類(新事業開拓会社)
研究拠点[編集]
- 横須賀研究開発センタ(神奈川県横須賀市 横須賀リサーチパーク)
- 武蔵野研究開発センタ(東京都武蔵野市)
- 厚木研究開発センタ(神奈川県厚木市)
- 先端技術総合研究所
- 先端集積デバイス研究所
- デバイスイノベーションセンタ
- 物性科学基礎研究所
- 先端技術総合研究所
- 筑波研究開発センタ(茨城県つくば市)
- 情報ネットワーク総合研究所
- アクセスサービスシステム研究所
- 情報ネットワーク総合研究所
- NTT京阪奈ビル(京都府相楽郡精華町)
- 先端技術総合研究所
- コミュニケーション科学基礎研究所
- 先端技術総合研究所
- NTT Research, Inc. [4](アメリカ合衆国カリフォルニア州イーストパロアルト)
- Physics and Informatics (PHI) Lab
- Cryptography and Information Security (CIS) Lab
- Medical and Health Informatics (MEI) Lab
医療機関[編集]
旧・逓信病院を引継ぎ運営を実施している。企業立病院であるが、NTTグループ関係者以外も利用が可能である。NTT東日本が運営する医療機関としては以下の3病院がある。
- NTT東日本関東病院(旧・関東逓信病院) - 東京都品川区東五反田
- NTT東日本札幌病院(旧・札幌逓信病院) - 北海道札幌市中央区
- NTT東日本伊豆病院(旧・伊豆逓信病院) - 静岡県田方郡函南町(なお函南町はNTT西日本のエリアである)
NTT西日本においても同様に以下の2病院が運営されている。
- NTT西日本東海病院(旧・東海逓信病院) - 愛知県名古屋市中区
- NTT西日本松山病院(旧・松山逓信病院) - 愛媛県松山市
なお、以下の病院は運営がNTT(東日本・西日本)から他法人に移管された。
- NTT東日本東北病院(旧・東北逓信病院) - 宮城県仙台市 - 2016年をもって東北医科薬科大学に移管された。
- NTT西日本大阪病院 (旧・大阪逓信病院) -大阪府大阪市天王寺区 - 2019年をもって医療法人警和会に移管された。
- NTT西日本京都病院(旧・京都南逓信病院) - 京都府京都市南区 - 2016年をもって医療法人社団洛和会に移管された。
- NTT西日本金沢病院(旧・金沢逓信病院) - 石川県金沢市 - 2014年をもって社会医療法人財団董仙会に移管された。
- NTT西日本九州病院(旧・九州逓信病院) - 熊本県熊本市中央区 - 2011年をもって医療法人創起会に移管された。
- NTT西日本長崎病院(旧・長崎逓信病院) - 長崎県長崎市 - 2014年をもって医療法人昭和会に移管された。
CI[編集]
ロゴ[編集]
シンボルロゴはダイナミックループと呼ばれる。NTT誕生の際、グラフィックデザイナー亀倉雄策がCIデザイン会社パオスから発注を受けて制作担当、17世紀に数式化されたトロコイド曲線の中の無限運動閉曲線を元にデザインされた。
ドメイン名[編集]
NTTはインターネットドメイン名として、JPccTLDの運用初期から『ntt.jp』を有していた。
JPNICがセカンドレベルドメインを導入した際、NTTはドメイン名が広く認知されていることを理由に特別に『ntt.jp』の継続使用を許されていたが、後にco.jpドメインへと移行 (ntt.co.jp) した。同様に、NTTデータは『nttdata.jp』ドメインの継続使用を許されていたが、後にco.jpドメインに移行 (nttdata.co.jp) した。
高エネルギー物理学研究所(KEK、当時『kek.jp』を保持)にも同様の措置がなされたが、こちらはセカンドレベルドメイン導入後、汎用JPドメインが誕生するまでの間も『kek.jp』を使い続けていた。
ジェネリックトップレベルドメイン『.ntt』の管理主体となっており、NTTグループの一部のwedサイトで運用をしている[43][44]。
キャッチフレーズ[編集]
CMのアイキャッチにおいてシンボルロゴの上にキャッチフレーズが添えられていた。
- 1985年(昭和60年) - 1986年(昭和61年):未来を考える人間企業
- 1995年(平成7年) - 1996年(平成8年):電話の先へ。
- 1996年(平成8年) - 1997年(平成9年):ひろがるマルチメディア
- 1997年(平成9年) - 1998年(平成10年):マルチメディアは世界をむすぶ
俗称[編集]
1990年代(平成2年 - 平成11年)前半のパソコン通信の全盛期、キーボードの「N」「T」「T」に刻印されたカナ文字から、ニフティサーブ等のパソコン通信のコミュニティを中心に、隠語的に「みかか」とも呼ばれ、パソコン通信やインターネットのダイヤルアップ接続にかかる高額な電話料金は「みかか代」と表現することも多かった(詳細はみかかの項参照)。
各年度業績[編集]
米国会計基準による各年度業績(単位:百万円) [45] [46] [47] [48] [49] [50] [51] [52]
決算期 | 営業収益 | 営業利益 | 税引前 当期純利益 |
当期純利益 |
---|---|---|---|---|
平成16年(2004年)3月 | 11,095,537 | 1,560,321 | 1,527,348 | 643,862 |
平成17年(2005年)3月 | 10,805,868 | 1,211,201 | 1,723,312 | 710,184 |
平成18年(2006年)3月 | 10,741,136 | 1,190,700 | 1,305,863 | 498,685 |
平成19年(2007年)3月 | 10,760,550 | 1,107,015 | 1,132,702 | 481,368 |
平成20年(2008年)3月 | 10,680,891 | 1,304,609 | 1,322,291 | 635,156 |
平成21年(2009年)3月 | 10,416,305 | 1,109,752 | 1,105,163 | 538,679 |
平成22年(2010年)3月 | 10,181,376 | 1,117,693 | 1,120,071 | 492,266 |
平成23年(2011年)3月 | 10,305,003 | 1,214,909 | 1,175,797 | 509,629 |
平成24年(2012年)3月 | 10,507,362 | 1,222,966 | 1,239,330 | 467,701 |
平成25年(2013年)3月 | 10,700,740 | 1,201,968 | 1,201,099 | 524,071 |
平成26年(2014年)3月 | 10,925,174 | 1,213,653 | 1,294,195 | 585,473 |
平成27年(2015年)3月 | 11,095,317 | 1,084,566 | 1,066,629 | 518,066 |
脚注[編集]
- ^ コーポレートガバナンス報告書
- ^ “日本電信電話株式会社定款”. 2020年8月15日閲覧。
- ^ “NTTグループにおけるグローバル事業の更なる成長に向けて”. 日本電信電話. 2018年8月10日閲覧。
- ^ 1973年(昭和43年)の中東戦争勃発に端を発した第1次オイルショック後の不況克服に際し、当時の経団連(会長土光敏夫)は大規模な財政出動を迫った。政府はこれを受け税収不足のため、赤字国債の発行を認める公債特例法が制定し、財政に占める国債依存度が急速に増加することになった。
- ^ 政府保有株の名義人は大蔵大臣であった。2001年(平成13年)の中央省庁再編により現在の政府保有株名義人は財務大臣である。
- ^ 1987年(昭和62年)2月16日、札幌証券取引所、新潟証券取引所、京都証券取引所、広島証券取引所、福岡証券取引所にも上場された。
- ^ このエピソードは、バブル景気の象徴として語り継がれている。
- ^ 「これこそ電波のムダ遣い」日本のスマホ料金が高い本当の理由総務省と通信・テレビの利権構造PRESIDENT Online
- ^ “元総務相らもNTTと会食”報道 高市氏ら接待ではないと反論NTT2021年3月11日 12時31分
- ^ 野田聖子、高市早苗氏にもNTT接待報道 総務相当時、規範抵触か東京新聞2021年3月10日 21時04分
- ^ 野田聖子氏、総務相時にNTT幹部と会食「接待という認識ない」読売新聞2021/03/11 12:36
- ^ 一人10万円超も NTTが山田前広報官と谷脇総務審議官に高額接待週刊文春 2021年3月11日号 genre : ニュース, 社会, 政治
- ^ NTTも総務省高額接待か辞職の山田氏、否定答弁の谷脇氏ら0:42(共同通信)
- ^ a b c d e f g h i j k 「週刊文春」編集部. “一人10万円超も NTTが山田前広報官と谷脇総務審議官に高額接待”. 文春オンライン. 2021年3月7日閲覧。
- ^ 「これこそ電波のムダ遣い」日本のスマホ料金が高い本当の理由総務省と通信・テレビの利権構造PRESIDENT Online
- ^ 野田氏や高市氏ら歴代総務相、NTTから接待か…週刊誌報道読売新聞2021/03/11 00:10
- ^ 「週刊文春」編集部. “一人10万円超も NTTが山田前広報官と谷脇総務審議官に高額接待”. 文春オンライン. 2021年3月7日閲覧。
- ^ a b c “総務省No,2更迭の豪華接待 料理も酒も最上級の個室で(フジテレビ系(FNN))” (日本語). Yahoo!ニュース. 2021年3月8日閲覧。
- ^ 秋本前局長も接待 NTT、鈴木前次官が同席毎日新聞 2021/3/15
- ^ 『週刊文春』の記事は悔し過ぎる!「行政の公正性」に特に注意を払ってきた者として高市早苗コラム2021年03月10
- ^ a b NTT、歴代総務相も接待 武田氏は有無明言せず―週刊誌報道時事通信2021年03月10日20時37分
- ^ a b 高市早苗氏と野田聖子氏、総務相在任中にNTT側と会食 文春報道毎日新聞 2021/3/10
- ^ 総務相在任時のNTTとの会食認める 野田氏ら接待は否定日本経済新聞2021年3月11日 22:00
- ^ 総務審議官「会費5000円払った」 不足なら接待認定も日本経済新聞2021/3/5 19:00
- ^ NTT高額接待で更迭の谷脇氏、今月末で定年退職 加藤官房長官「退職金は法にのっとり対応」東京新聞2021年3月9日 13時40分
- ^ 内部文書入手 NTTが総務大臣、副大臣も接待していた 週刊文春 2021年3月18日号
- ^ 歴代総務大臣らもNTT側と会食“接待ではない”テレ朝
- ^ 総務相、NTTと会食同席認める規範抵触を否定、「費用払った」共同通信2021/3/18 10:06 (JST)
- ^ 菅首相の周辺人脈に多い「愛光学園」OBたち。谷脇氏の検証委員会も後輩が担当日刊SPA2021年03月09日
- ^ 武田総務大臣閣議後記者会見の概要総務省 令和3年2月26日
- ^ 接待問題の検証委、すべて第三者で構成 総務相日本経済新聞2021年3月12日 13:30
- ^ a b c d e “山田前広報官のNTT会食報道 菅政権「一般の方」と事実確認は行わない意向:東京新聞 TOKYO Web” (日本語). 東京新聞 TOKYO Web. 2021年3月7日閲覧。
- ^ ““NTT接待” 山田真貴子氏の同席を総務省幹部認める”. TBS NEWS. 2021年3月7日閲覧。
- ^ “総務審議官「会費5000円払った」 不足なら接待認定も” (日本語). 日本経済新聞 (2021年3月5日). 2021年3月8日閲覧。
- ^ a b “谷脇総務審議官を更迭 NTT接待、2回代金払わず 官房付に異動” (日本語). 毎日新聞. 2021年3月8日閲覧。
- ^ 令和3年3月8日付 総務省人事総務省
- ^ 谷脇総務審議官を事実上更迭NTT高額接待で官房付に北国新聞2021/3/8 08:47
- ^ NTTが特別調査委員会を設置、総務省幹部との会食問題ー9日付 ブルームバーグ 2021年3月9日 15:38 JST
- ^ NTT調査、政治家含めず 接待問題、16日に初会合産経新聞2021.3.11
- ^ 立憲民主、総務省接待問題で揺さぶりかけるも手詰まり感 政党支持率上がらずSankeiBiz 2021.3.15 19:18
- ^ 谷脇前総務審議官が辞職 巻口局長は減給処分―総務省時事通信2021年03月16日09時11分
- ^ 谷脇氏の公用車記録は破棄 野党「半年で処理おかしい」朝日新聞デジタル2021年3月17日 16時01分
- ^ Delegation Record for .NTT Internet Assigned Numbers Authority
- ^ .ntt Registration Policies Nippon Telegraph and Telephone Corporation
- ^ 2005年(平成17年)3月期(pdf)
- ^ 2006年(平成18年)3月期(pdf)
- ^ 2008年(平成20年)3月期(pdf)
- ^ 2010年(平成22年)3月期(pdf)
- ^ 2012年(平成24年)3月期(pdf)
- ^ 2013年(平成25年)3月期(pdf)
- ^ 2014年(平成26年)3月期(pdf)
- ^ 2015年(平成27年)3月期(pdf)
関連項目[編集]
●糸山影和
- 日本電信電話公社
- 第二次臨時行政調査会
- 電話
- ビジネスフォン
- マイライン
- 電話加入権
- 電話帳
- 総務省
- 電話協会
- 外資規制
- 通信・放送の在り方に関する懇談会
- 通信・放送産業高度化小委員会
- ツール・ド・フランス - スポンサーの一員になっている[1]。
- インディカー・シリーズ - 2019年からの冠スポンサー
- みかか - NTTのスラング
- つくばフォーラム - 同社主催による、年1回開催されるアクセスネットワークに関する展示会。
外部リンク[編集]
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