P48 (潜水艦)

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経歴 (イギリス)
名称: P48
建造所: ヴィッカース・アームストロング
起工: 1941年8月21日
進水: 1942年4月15日
就役: 1942年6月18日
最後: 1942年12月25日にイタリア水雷艇の攻撃で沈没と推定
仕様諸元
クラス: U級潜水艦
排水量
  • 水上 - 540トン(基準)、630トン(満載)
  • 水中 - 730 トン
長さ: 191 ft (58 m)
幅: 16 ft 1 in (4.90 m)
喫水: 15 ft 2 in (4.62 m)
推進:
  • 2軸、ディーゼル・エレクトリック
  • パックスマン・リカルド・ディーゼルエンジン2基 + 電動機
  • 615 / 825 hp
速力:
  • 11.25 ノット(水上)
  • 10 ノット(水中)
  • 乗員: 27-31
    兵装:

    P48 (HMS P48) はイギリス海軍潜水艦U級の第3グループ。

    艦歴[編集]

    バロー=イン=ファーネスヴィッカース・アームストロング社で建造。1941年8月21日起工。1942年4月15日進水。1942年6月18日就役。

    「P48」の地中海での1回目と2回目の哨戒ではすべての魚雷を消費したが戦果はあげられなかった[1]トーチ作戦では偵察隊を上陸させ、それからビーコンとしての役割を果たした[2]

    12月21日、「P48」はマルタから3回目の哨戒に出発した[3]。哨区はチュニス沖であった[3]。12月31日に位置を知らせるよう命じられたが「P48」からの応答は無く、「P48」は未帰還となった[3]。「P48」は12月25日にイタリア水雷艇「アルデンテ」により撃沈されたものと思われる[3]

    2隻の船を護衛していた「アルデンテ」は12月25日にチュニス湾のゼンブラ島の北西でECG[4]で潜水艦を探知し爆雷攻撃を行った[3]。3度目の攻撃の後、大量の気泡が浮かんできたため「アルデンテ」艇長は潜水艦が浮上しようとしていると考えたが、潜水艦は現れなかった[5]。「アルデンテ」はさらに4回目の爆雷攻撃を行い、撃沈確実と判断して船団に戻った[6]。このときチュニス湾にいたイギリス潜水艦は「P48」のみであった[7]

    脚注[編集]

    1. ^ Beneath the Waves、位置7457/10706
    2. ^ The History of the British U Class Submarine、位置3421/4692
    3. ^ a b c d e Beneath the Waves、位置7469/10706
    4. ^ Ecogoniometro (Echo Protractor)、アスディックと同じような機能を持つ
    5. ^ Beneath the Waves、位置7481/10706
    6. ^ イギリス潜水艦隊の死闘、303ページ
    7. ^ イギリス潜水艦隊の死闘、304ページ

    参考文献[編集]

    • ジョン・ウィンゲート、『イギリス潜水艦隊の死闘』、秋山信雄 訳、早川書房、1994年、ISBN 4-15-207857-X
    • Derek Walters, The History of the British U Class Submarine, Pen & Sword Maritime, 2007, ISBN 9781783035960 (Kindle版)
    • A.S Evans, Beneath the Waves: A History of HM Submarine Losses 1904-1971, Pen & Sword Maritime, ISBN 9781473802674 (Kindle版)